――あの頃の、私たちに
飛行機雲が走っている。それ以外何もない。ただの青空。私は人の家の2階のベランダで、大の字に横になってそれを眺めていた。コンクリートの地面は鉄板のように熱く、遮るもののない太陽は私のことを無慈悲に照らす。
私は、「このままだと、死ぬかも」なんて、茫然と考えながら、真夏の日差しを指越しに眺めていた。小高い丘の上にあるここは、横になると視界に入るものが柵しかなくて、ひとりで取り残されたようで、人の家ながらとても居心地がよかった。
「ナッちゃん、いつまで焼肉ごっこしてるの! 次、ナッちゃんの番だけど飛ばすよ?」
「え? 何?」
室内の友人に呼ばれて、私はすっかり汗でグシャグシャになった体を起き上がらせた。制服のシャツがぴったりと背中にくっついている。多分、軽い脱水症状だろう。水を飲まないと、と少し痛む頭にイラつき考えながら、私は自分の垂れた汗で色の変わる地面を見ていた。
「ナッちゃん。オスカーさまがデートのお誘いに来たけど、無視していい?」
「ダメに決まっとろうが!!」
サンダルを捨てるように脱いでベランダから急いで屋内に入ると、私はコントローラをアイから奪い取って選択肢を変える。ステータス画面に切り替えると、先ほどまでは振り切れんばかりに私への好感度が高かったキャラクターが、今では底辺にまでほど近い。
「何をしたらここまでこうなるかね!?」
「いや、“お祈りモード”でお誘いを断り続けてたらこうなってたわ。求めてるのお前じゃないし」
「私が求めてるのはオスカーさまだろうがよ!」
今は“乙女向けゲームを皆で回しプレイする”という私たちお得意の遊びの真っ最中だ。この部屋にいる3人の想うキャラクターがそれぞれ違うために、もちろんステータスや好感度はしっちゃかめっちゃか。それの何が楽しいのか? さぁ、私たちにもわからない。
休みも放課後も何も関係なく、時間があればアイの家に集合。これが私たちのお約束。ゲームを遊んで、アニメを観て、絵を描いて、コスプレだってする。
家主の“絵上アイ”は美大を目指す美術部クラスで、よく私はスケッチのモデルをさせられていた。私は体が貧相で、そのままを描くと先生に「こんな人間はいない!」と指摘を受けるようで、完成した絵を見せてもらうと肉付きよく描かれていて、それがおもしろくて2人で笑った。
「遅くなったー。もう皆、来てるの?」
「りっちゃん、いらっしゃい!」
「あれ? 熱中症で危ないからって、運動禁止って連絡来てたよ? 部活あったの?」
「そんなの関係ないよ! 大会あるし、後輩も絞らないと!!]
襖を開け、こんがりと袖焼けした姿を見せたのは“壱打リエ”。ソフトボール部のキャプテンを務める、純体育会系女子だ。“陰気なオタク倶楽部”といった私たちの集まりからは程遠い存在に思えるけれど、マンガが好きで、アイとは幼稚園からの付き合いだった。中学生の時に、好きなマンガのキュラクター名を校門にマジックで書いて父母呼び出しになった、生粋のプロテイン系能天気女子だ。
「ミナコは何書いてるの?」
「今度の新刊……」
タブレットに向かい、そんな会話の中でも黙々と手を動かし続けているのは、“自院ミナコ”。昔からマンガやイラストがうまくて、私たちの自慢の存在だった。小柄な体系とアニメチックな声からマスコット的存在のようにも思えるけれど、「虫が大嫌い」と言いながら大量の蟻を傘の先で潰しているのを見た時はギョッとしたし、あまり逆らうのはよくないのかも、私は本能的に悟ったものだった。
――ここまでの紹介でひとつ言えるのは、高校2年のこの夏にして、私たちは将来についてあまりにも危機感がない、ということ。私たちはこの夏休みになぜ一様に制服であるのか。
答えは簡単で、テストの点数があまりにも悪くて、補習授業を強制されているからだ。真夏、クーラーも付けてもらえない教室で、たった数人で授業を受ける。終わったら、復習もせずに寄り集まってゲーム三昧。先生ごめんなさい。私たちは、先生の苦労が何も身にもなっていないかもしれません。
私たちは本当に真っ新な女子高生だった。女子校だから男子の存在も知らず、ゲームやアニメに時間とお金と心血を注ぐ。それ以外、何も知らない。そう、私“宇津ナツメ”も、そんな彼女たちのなかのひとりだ。
「そういえば、新しいゲームをゲットしました!」
“ジャジャーン”なんて古い効果音と一緒に、リエがガチャガチャとカバンの中からケースに入った一本のROMを掲げた。「おぉ~」とわざとらしく一瞬沸く歓声。
「りっちゃんがゲーム? 珍しいね」
「皆でやろう? 私、ちょっとでも難しいとできないし」
そうリエが言うと、皆いそいそと準備を整えて灰色のゲーム機のスタートボタンを押した。“新しく”という割には肝心のパッケージがなくて、何かの空きケースに入っただけのROM。盤面も背景がデザインされているだけで、不信を少し感じながらも、その謎かけのような存在が逆に私たちをワクワクさせた。
アクションなのかRPGなのかもわからない。けれど、なんでもいいから、新しいものを、知らないものを遊びたい。
ゲームを起動すると、タイトルロゴも現れず、ただ幻想的で繊細な背景が“PRESS ANYKEY”という文字とともにテレビ画面上に現れた。
「なんだろう、RPGかな」
「この“PRESS ANYKEY”って言いながら、○ボタンしか受け付けないのって、毎回ちょっとむかつくよね」
「あるわ~」
「まぁ、まずはオープニングムービーでしょう!」
ゆっくりと点滅する文字に、私たちは集中した。新しいゲームを遊ぶドキドキ感と、少しの不安。画面が明転すると、民族音楽を思わせるゆったりとした曲とともに、文字が浮かびあがる。
――助けてください。運命の子どもたち
あなたたちの抱いた夢は、無限の可能性
「おお……。『幻水』っぽくない? カッコイイね」
「やっぱりRPGっぽいよね」
――私たちの世界は今、大きな変化に飲み込まれようとしています
どうか、世界を救って。運命を変えて。愛を知って……
画面には、登場人物と思われる4人の男性が、音楽に合わせて次々と現れては消える。私たちはその度に、前のめりになって感嘆した。
「イケメン出るやつ!!」
「恋愛要素とかあるのかな?」
「今の人! 今の人よくない!? あふれる筋肉、たくましい姿……」
「あー……うん」
「ほら、ナッちゃんの好きそうなチャランポランな男も出たよ」
「チャラ……!? 柔和で優しい男性と言って」
「しかし、我々のいいところは、推しが一切被らないところだよね。戦争が起きない。素晴らしい。真の平和だよ」
――いざないましょう、この世界に
あなたの力が解放される、この世界に
その文字を最後にして、画面は固まった。けれど、私たちはなぜか、動けずにいた。
普通だったら、リセットボタンを押すとか、声を掛け合うとか、そういったことがあって当然のはずだった。けれども私たちは画面に見入ったまま、その場を動けない、何も、声を出すことができないでいた。
ほんの数秒前まで、あんなに「男子の好みが」とか、「早く遊びたくて」とか、うずうずして話題は尽きず、口々に言いたいことを乱雑に言っていたのに、今は誰も声を発しようとしない。瞳には、画面が焼き付くように映り込んでいる。それは私も変わらずに。
――音と、そして声が、聴こえた。
『あなたの悲しさを消すことは、私たちにできますか?』
視界が、ぐらりと回る。私は脱水症状気味ですでに気分が悪くて、だから、この眩暈も半分はそのせいだと、その時は思っていた。